僕「お昼はメキシコ料理を食べよう」
友「メキシコ?メキシコ…あぁMexicoね!」
僕「え、ん?」
友「メキシコって何言ってるのか全然わからなかったよ~」
僕「嘘だろ・・・」(絶望)
さて、私が駐在中に経験したとある休日の会話(日本語)をご覧いただきました。
ちなみに友人はアメリカ人ですが日本語を少し話せます。私はそんな彼に甘えて英語の勉強もせずに日本語で過ごしていたわけです。
そんな彼が続けて、
友「そういえば過去にも日本人がチキン、チキンと言っていて全く理解できなかったよ~」
私「ごめん、言ってる意味がわからない。とりあえず落ち着こ?」
本当にびっくりしました。
なんとネイティブアメリカンにメキシコやチキンといったカタカナ英語が全く理解してもらえなかったのです。
友「チキンじゃなくてCheckin、メキシコじゃなくてMexicoだよ!」
さらに追い打ちをかけるように、私は彼の言うCheckinとチキン、Mexicoとメキシコの発音の違いがまるでわからなかったのです。
いや、言い比べてくれると確かに違いがあるのはわかるけども、説明なんて到底できない。
中学、大学と合計7年間英語を勉強してきた結果がこれなのか…?
いや待てよ?ということは今まで僕の口から口臭とともに発せられた英語たちは、ストレートには理解されておらず、話の流れやなんとか聞き取れた英語から推測されて、かなり気を遣って理解されていたのか?
まさかこんな何ともないただの昼下がりのコーヒーブレイク中に英語の挫折を味わうなんて思いもしませんでした。
そんな絶望の中にも一筋の光があるとすれば、それはもう練習するしかありません。
打倒、発音の壁です。
この頃から、英語をペラペラ話すという目標は捨て、せめて決められた文章だけでもきれいに発音できるようにしておけば、いざ英語で挨拶しろと言われたときに”英語やってきた感”が伝わるんじゃないかと逃げ、、、ではなく戦略的撤退的なアレを思うようになったのです。
そう。私が日本を旅経つ前に会社の人たちからは体だけでも無事で帰ってこいよ!と生易しい励ましをいただきましたが、実態は違います。
本当に”ただ無事”で帰ってきたら私は袋叩きに会っていたでしょう。
日本の同僚たちは密かに期待しているのです。
私が帰国後にアメリカ英語を流ちょうに話す姿を。
そんな卑怯なやつらに見せつけるためにも、まずは挨拶のような決まった固定文だけでも流ちょうに言えるように頑張りました。
結果は、、、少し褒められました。少し。
それもそのはずです、私も大概ですが他の駐在員の英語もまぁ酷い。
そのまんまカタカナ英語です。
意思疎通、コミュニケーションはある程度できるのかもしれませんが、Checkinとチキンの違いがわかるとは到底思えないレベルの発音力でした。
それだけ日本人にとって発音の壁は高いんだと思います。
もしくはコミュニケーションが取れればそれで良い、むしろ日本語なまりは個性とポジティブに捉えているのかもしれません。
せっかく駐在経験を経たのに、ダサいカタカナ英語しか話せないのはいかがなものか。
服装やマナー、言葉遣いには厳しい日本のビジネスにおいてそんなダサいカタカナ英語で商談してしまってよいのだろうか。
とまぁ、話はそれましたが、世界的に英語のレベルが高いとされている日本人の英語力がこの程度(私だけでしたらすみません)なことに挫折を覚えた休日でした。
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