海外駐在が決まったときの心づもり

テキサス生活経験談

コロナが蔓延し出すはるか昔、2016年当時入社4年目の暑い時期にその転機は訪れた。

いつも通りに会社に出社し、いつも通り面白くない仕事をこなしていた。

お昼休憩が終わって少ししたタイミングで、普段滅多なことでは話してこない部長に声をかけられた。

部長はとても気さくな人だったけど、改まって声をかけられると少し緊張してしまった。

 

「単刀直入に言おう、海外駐在に興味ある?」

 

びっくりした。

 

自分は特に英語が得意なわけではなく、ましてや仕事の成績が特別良いわけでもなもなかった。

むしろ直属の上司からはパワハラ、恫喝まがいのお気持ち表明を受けるくらいに仕事ができない方だと思っていた。

だけどその将来有望な若手に声をかけるかのような言葉は、確かに部長から自分に向けられていた。

 

「えっ!?か、海外ってどこですか!?」

 

しどろもどろにも質問を質問で返してしまう。

 

「ドイツかアメリカだけど、たぶんアメリカだよ」

「まぁ急な話だったから、一度家族や友人に相談してからまた今度答えを聞かせてくれ。」

「ちなみに時期は今年の10月だからww」

 

まだひどく暑い8月。少し悪意を感じるようなあまりにも急すぎる展開。

そんなやりとりをわずか15分ほどで手短に行った部長、さすが仕事のできる男だ。

 

さて、どうしようか?とんでもない話になってしまったぞ。

正直、自分の中での答えは決まっていた。

もちろんYesだ。

 

大して面白くもない仕事、パワハラまがいな上司、毎日の満員電車、ストレスな毎日

その全てから解放されるだけでなく、自分のキャリアにも人生経験にも拍が付く。

 

断る理由なんてない。

「ただ、家族や彼女になって言おうか…」

そんなことを考えながら帰りの満員電車に揺られていたことを鮮明に覚えている。

 

うちの家族は基本無関心、無干渉なのでさして問題ないことは容易に想像できるのだが、やはり問題は当時付き合っていた彼女だった。

なにせ1年は会えなくなる。

遠距離恋愛に関する質問をしているYahoo知恵袋や、教えてgooなどを片っ端から読んで参考になる意見を漁ったが、結局上手い答えは見つからなかった。

 

彼女とは実際に会って話すことになった。

「ゆたろよ、海外に行ってはならぬ。」

「1年も会えないのは寂しいすぎる。我、耐えられぬ。」

そう言われるのはわかっていた。

俺も覚悟を決めるしかない。

「海外で生活できるなんてめったにない経験できることじゃない」

「将来昇進にも繋がるかもしれないからぜひ行きたいんだ!」

ありきたりすぎる言い訳。

「嫌じゃ!それでも嫌じゃ!」

「じゃあこうしよう…

 

1年間耐えて、海外から戻ってきたら結婚だ!」

一撃必殺の大技だった。

この言葉でなんとかうまく丸め込むことができ、理解を得られた。

 

 

自分自身の決意と、周囲の人からの理解を得られてからは出発の準備に追われた。

当時一人暮らしをしていた賃貸を一年住まずに解約し、米国ビザを取得するための書類作成といった準備に明け暮れた。

そして、なけなしの英語学習。

 

出発の準備期間が2か月もなかったのだが、業務はちょうど山場を迎えた直後であり、そんなに大して多くない引継ぎ作業は順調に進んだ。

 

そして時期は出発2週間前。

あれだけ俺のことをボロクソに言っていた上司も、形だけでもと居酒屋で送迎会を開いてくれた。

「これからいろいろ大変だと思うけど、お前が決めた道だ。頑張れよ!」

その場ではただありがとうございます!とだけ反応し、内心はどうでもいいと思っていたつもりだったけど、改めて言われると少し来るものがあった。

会社のチーム、同期、家族、周りの人になんとか見送られながら、挨拶を終えた。

 

出発当日、彼女と二人で成田空港に向かった。

出発は総務のミスでチケット購入が遅れ、切りよく11月1日になっていた。

税関のゲートを通るの際、一緒にいた彼女は大泣きをしていた。

しかしその直後、なんとあのレディーガガが同じタイミングで来日しており、俺がゲートをくぐった瞬間に現れた。

「ゆたろが見えなくなってからレディーガガに会えた~www」

ずいぶんご機嫌で楽しそうにフライト時間まで電話を続けた。

そして、期待と不安と、少し複雑な彼女とのお別れを胸に俺は日本を飛び立った。

 

そして時が経つこと、1年

 

アメリカでの生活もようやく慣れてきたころ、帰任の話が上がってしまった。

アメリカの広い大地、社員と会社が対等な労働環境、ライフスタイルを重視する働き方、食生活、友達

全てが心地よく、正直日本にはまだまだ帰りたくなかった。

あの広い家での生活からまたウサギ小屋生活に戻ってします。嫌だ。

赴任先の上司にも相談した。

が、会社の命令なので余儀なく帰国せざるを得なかった。

 

帰国してからは1年前と何ら変わらない生活に戻ってしまった。

満員電車での通勤、狭すぎる部屋、見慣れた風景。

唯一、再びパワハラ上司のもとへ戻ることはなかったのが救いだった。

不思議なことに、こんな生活二度としたくなかったはずなのに、自分でも驚くくらい早いスピードで元の生活に慣れていった。

やはり30年近く過ごした日本の環境が、自分には相応しかったのだろうか。

1年間だけでも夢を見させてくれたことに感謝しよう。

そう思いながら、励んだのは転職活動だった。

どうやら元の生活に体は慣れてしまったが、どうしても譲れない部分が自分の中にあったらしい。

今度は自分の意志で新たな挑戦がしたいと強く思っていた。

 

そう、それがデータサイエンティストとしての道である。

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