「奨学金は夢を叶えるための切符」と思っていたあの頃。
6年間で800万円を借り、社会人になった今、その切符が大きな重荷に変わるとは予想もしませんでした。
この記事では、奨学金返済のリアルな体験を通して、これから奨学金を借りようとしている方々に知っておいてほしいことをお伝えします。
人生の選択とその代償について、ぜひ参考にしてください。
背景
6年間借りた奨学金の合計金額
私は日本学生支援機構の奨学金を大学生~大学院生まで借りていました。
6年間借り続けた総額は、なんと800万円
- 第一種奨学金(審査厳しめ、利子無し):300万円
- 第二種奨学金(審査ゆるめ、利子あり):500万円
といった配分で借りていました。
普通にグレードの高い国産車や外車が買えてしまう金額です。
今回返し終わったのは利子ありの第二種奨学金の方です。
奨学金を借りた経緯
高校生のとき、大学に進学するか、卒業後働くかの大きな岐路に立たされている時期がありました。
家庭の経済状況はあまり芳しくないことはなんとなくわかっていましたが、両親に相談を持ち掛けるとやはり「働くという選択も考えてほしい」と言われたものの、最終的には「自分の好きな道を選びなさい」と言われていました。
自分は特にこれといってやりたいこともなく、当時仲良かった友達に合わせて進学する道を選びました。
「やりたいことは大学で見つければいいか」と安直な気持ちでした。
そして、大学に行くことを両親に伝えると奨学金で進学することを条件に意外とあっさり承諾してくれました。
1年の浪人の末、なんとか理系の私立大学に入学し、入学と同時に奨学金の説明会、そして審査がありました。
奨学金の申請時、特に深く考えることもなく両親に言われるがまま当時借りられる額のギリギリまでを申請しました。
あの当時、もっとよく考えておけばこんな借金抱えなくてもよかったのかなと今でも少し後悔しています。
奨学金の使い道
大学生活は順調で、月々振り込まれる奨学金は親が管理していました。
親は奨学金から大学の授業料や教科書代だけでなく、私へのお小遣いまで捻出しているようでした。
その額毎月3万円程度。勉強に忙しい理系の大学生にとっては十分な金額でした。
ある日、頭の足りない私でも「毎月10万円以上奨学金借りていて、授業料で余った分をお小遣いとしてくれるなんて将来大丈夫かな?」と疑問を持つようになりました。
その不安を親にぶつけてみると、
「毎月3万円のお小遣いあげてるんだから大丈夫でしょ?」
と言われ、通帳を自分で管理することを許してくれませんでした。
両親は私の大学入学と同時期に脱サラして個人事業として生計を立てていたのですが、どうやらその事業があまり上手くいっておらず、自転車操業状態だったようです。
つまり、私の奨学金がある意味家族の生命線になっていたので減額することも難しかったのでしょう。
そして本来なら真っ先に切り詰めるべき月3万円のお小遣いは、その生命線を維持するための謝礼的な位置づけだったんだと今では思います。
私にできることはせめてそのお小遣いを貯めて残しておくこと。
奨学金返済の苦労
ついにやってきた、返済開始日
大学、そして大学院を卒業後、無事にメーカ企業に就職することができました。
社会人生活にもだいぶ慣れてきた一年目の秋ごろ、一通の手紙が届きます。
そう、奨学金返済に関する手続き書類です。
”借りたもんは返さないといけないから、そりゃそうだよな”と理解しながらも、月々の返済額に驚愕
なんとその返済額
毎月4万2千円!!
しかもこれが…
20年間!!!!!!!
オッタマゲーーーー!!
返済金額は収入の多寡に関わらず、強制的に決まります。
(もちろん支払いに対して減額処置や遅延処置といった対応はしてくれるようです。)
無理な返済計画を進めるも…
幸いにも当時はまだ実家暮らしの子供部屋おじさんだったこともあり、早く返し切りたい一心で、給料のほとんどを奨学金返済に費やしていました。
奨学金=借金。そして借金に対しては悪いモノという認識が自分の中で強く、無理な返済計画を企ててしまったのです。
その代償として私生活はかなり制限されました。
昼食は自炊、飲み会は基本パス
社会人になって大きな買い物などほとんどしたことがありませんでした。
そんなある日、大学院卒なのに手取り20万円にも満たない給料に対して15万円を返済に充てる生活に嫌気が指し、精神的にも辛くなってしまいました。
毎日働いてもお金が自由に使えないストレス、返済時に繰り越し返済をする手続き、なかなか上がらない給料
生きてる意味がわからなくなり、全てが嫌になった結果、無謀な返済計画は1年ほどで破綻してしまいました。
とりあえず一度忘れよう
そう思うことでなんとか自分を落ち着かせることができました。
幸いにも奨学金の返済は繰り越し手続きなどしなければ自動で一定額が銀行から引き落とされます。
そしてしばらくたつと、奨学金返済は毎月払うスマホ代のように勝手に引かれる項目の一部として考えるようになりました。
そう思うことで少しは気持ちが楽になりました。
ところが、
同時にこんなことを悲観的に思うようになりました。
「奨学金を返し終わるころには40歳を超えてしまう」
「こんな多額な借金を抱えて結婚はできない」
当時付き合っていた彼女は幸いにも奨学金に対して理解を示してくれた一方で、やはり結婚の時期については度々ケンカをしていました。
人生の転機となった海外赴任
そんなタイミングで訪れたのが、1年間の海外赴任の話。
詳しくはこちらのブログで語っております。
この海外赴任が自分にとっては好都合でした。
- 給料が増える
- 生活費の一部が会社持ちになり貯金ができる
- 結婚の話を1年間寝かせることができる
- 1年間奨学金返済から離れられる(日本の通帳を見なくなる)
自分は本当に運が良かったと思います。
貯蓄が増え、精神的にも楽になり、人生の選択肢を増やすきっかけができました。
まとめて返済する決意
海外から帰任後、転職、投資、結婚、趣味の充実と様々なことを行いました。
その当時400万円くらいの貯金ができていたおかげで気持ちが楽になり、かつ自分のやりたいことにも打ち込むことができたのです。
転職を経て順調に生活をしていたころにふと奨学金のことを思い出し、返済状況を確認しました。
すると第二種奨学金の残りの返済額がちょうど折り返し地点にきていました。
入社して間もない頃の無謀な返済計画がここにきてその効果を実感することになりました。
デフォルトでは20年間の返済プランが組まれますが、2年分早まって残り半分となっていたのです。
タイミング的に彼女との結婚の話をしていたこともあり、結婚のためにせめて利子のある奨学金くらいは返済してキレイな体になる決意をしました。
最後の繰り越し返済の手続きを行い、様々な辛い思い出とともに第二種奨学金の返済を完了させることができました。
手続き完了後、不思議なことに自然と涙が出てきました。
最後に
自分自身、800万円の借金を背負う価値のある人生なのだろうか?と脳内反省会をよくします。
今思えば、高卒で働いて貯金を貯めた後に大学に進学するルートが最強だったんじゃないか?とも思います。
歳は重ねてしまいますが、社会の厳しさを知った後の方が勉強の意味をより理解できますし、奨学金の負担を減らすために貯金もできますからね。
正直、当時何も考えずに奨学金を借りてしまったことについては今でも反省しています。
両親に乗せられた部分も多少はありますが、そんな両親を恨むことはありません。むしろ大学進学を否定しなかったことに感謝しています。
奨学金のおかげで充実した大学、大学院生活が送れ、そしてちゃんと就職することできたことは紛れもない事実です。
奨学金を借りる理由は様々だと思います。
奨学金は間違いなく、経済的な理由で大学進学の夢を諦めてしまう人の助けになるでしょう。
ですがその代償は大きく、社会人になってから多額の返済義務が発生するのはかなりのマイナススタートになります。
私は奨学金のおかげで大学進学することができ、そして就職することができましたが、ただただ本当に運が良かったのだと思います。
不運にもコロナによる影響もあり、多くの人が奨学金返済ができずに人生が破綻してしまうというニュースをよく見かけます。
あまり明るい話を聞かない日本において、奨学金を借りて大学進学することはハイリスク、ローリターンとなり得ます。
これから奨学金を借りようとしてる学生さんや、そのご両親にぜひ知っておいてほしいこと、確認しておいてほしいことは以下の通りです。
- 奨学金の仕組みや返済方法についてしっかり理解した上で適切な金額を借りる
- 自分の専門分野、大学の就職先などを確認し、奨学金返済プランがちゃんと立てられそうか確認する
- 多額の借金を背負うという前提で自分の人生設計を考えておく
蛇足ですが、
奨学金を返し終えたら今度は家のローン、車のローン。
人生は本当にお金がかかるのです。
コメント